2016年3月30日水曜日

ニュースのあり方

ニュースをエンターテイメントにしてしまうの、そろそろやめませんか。

何か特徴的な事件が起こるたびに、大きく取り沙汰されて
ニュースの長い時間を、その事件が占める。
情報も不完全なまま、面白いところだけを抜き取って独り歩きする邪推…。
今回の中学生監禁事件もそう。
「逃げれたんじゃないのか」
「同棲してたけど飽きたんじゃないのか」
「洗脳されてたんじゃないのか」
全部、想像に過ぎない。

わたしたちは、事件を調べる刑事でもなければ、
裁く裁判官でもなければ、
被害者や加害者の知人でもない。

完全なる「他人」です。

勝手な憶測で物を図ることがどれだけ危険なことか、
どうして気付かないんだろう。

調べるべき人が調べ、裁くべき人が裁きます。
あなたじゃない。

もし「被害者を守りたい」と思うなら、放っておくべき。
もし「加害者を許せない」と思ってもそれは同じ。
被害者や加害者の気持ちを勝手に判断するのは決して正義じゃない。
それはもはや好奇心です。

裁判が行われたあと、
そこで明らかにされた「事実」と「刑罰」を比べておかしいなと思ったとき
はじめてわたしたちに声を上げる権利が生まれるんじゃないかと思います。
でも、みんなそこまで興味ないよね。
事件の速報が出たまだ情報が十分じゃないときに飛びついて邪推して勝手に結論付けて満足する。
あとはほとんどの人が知らん顔…。恐ろしいことだよ。


何がこうした歪を生むのか…。原因はメディアだよね。
メディアはいかにも大衆受けしそうな事件のキーワードを並べる。
「大学生が中学生を監禁」「2年間監禁しながら普通に生活」「秋葉原に行く」…。
加害者の住んでいた家に行って、壁の薄さを調べて、「本当に周りの人は気付かないのか?」って実証したりする。
でも、これって報道する意味どこにあるの?
このニュースが流れたところで、わたしたちにできることはなに?
「監禁されないように気をつける」?
無理だよね。
報道によって模倣犯が生まれることこそあれど、抑制や予防には繋がらない。

じゃあ、何のための。
被害者をズタボロに傷つけてるだけなんじゃないの?


一度、「ニュースってなんなのか」「受け取り手のわたしたちは何をすべきか」
落ち着いて考えてみたほうがいいと思います。

控えめに言って、この国のニュースは狂ってる。



よん

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