わたし思うんだ。
自分の涙腺は多分ちょっとトチ狂っていると。
例えばこの前のタイタニックもそうですが、
よくこういう状態になります。
今の時代ねー、こんな純粋な子いないと思う。
今も南くんの恋人(3巻)を見て泣きすぎてもはや頭痛いです。
別に「泣いたらスッキリするから、泣くために泣ける映画とか見ます☆」的な考え方
一時流行ったけど…もうその観点が既に汚れてるよねー!
違うよ…涙っていうのは勝手に出てくるもんなんだよ!!(力説)
人生ではじめて”どうにもならないということ”を知ったのは
ファイナルファンタジー7をやったときでした…
そうですね、7歳くらいの頃の話です
もう、FF7をやったことある方ならお分かりでしょう、
そう、あの方が水の底に沈む時
わたしはというと
一緒に撃沈!!!!!!
よねはらちかこ(7)、この世には自分の手ではどうにも出来ないことがあるのだと知る。
わたしがどんなに強くなろうとも、頑張ろうとも、
もう彼女(ネタバレしないためのささやかな配慮)は帰ってこないとその時悟ったのである。
あれはわたしの人生のなかでの大きな出来事であった。
しかし問題は、自分の手ではどうにも出来ない以上
人生で何度も直面するということだ。
わたしはその大いなる悲しみから逃れられない。
いや。
わたしだけではない。
人間だれしもが直面しうる問題だ。
人間にこころが付属してしまってる以上、喜びと等しく
悲しみは存在する。
喜びがあるからこそ、悲しみはより悲しく
けれどもその悲しさがあるがゆえに、喜びは喜びとして為し得る。
そう、わたしは彼女がいるときあれだけ彼女を愛したからこそ
あの別れは身を裂かれるように苦しかったし、
また彼女を殺したあの男を許すまいと胸に誓ったのである。
ちなみにいまだにわたしはあの男を許せない。
わたしが目を腫らしたどの作品も、同様にそうだった。
どの作品も、それまでに幸せな記憶があったからこそ、
別れがつらいのである。
”つらい別れ”が最後にあったら、それは悲しい思い出になるだろうか。
悲しい思い出にして、新しくこころを更新してしまうこともあるかもしれない。
ただ”つらい別れ”が”つらい別れ”であるためには必ず、
その前に”しあわせの記憶”があったということ。
その”しあわせの記憶”を愛してあげたいね。
よん



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