2014年12月5日金曜日

千年の

わたしは小学3年生の頃、百人一首が大好きでした。
大好きな先生が教えてくれたからです。
先生にもらった冊子をいつでも持ち歩き、ボロボロになるまで読みふけりました。
少し意味を調べたりもしましたが、
その頃のわたしにとって百人一首は歴史でもなく、勉強でもなく、”うた”のようなもので
覚えて口に出すことが楽しくて仕方ありませんでした。
当時のわたしを知っている大人たちは、みんな
「あの頃、ずーっと百人一首の持ってたよね」と言う。
それだけ、わたしにとってあの水色の冊子はかけがえのない友人のようなものでした。

しかし”うた”だったので、
あまり深く追求したことがなかった。
今の音楽で例えるなら、
歌詞を全部覚えてるし、アーティストも覚えてるけど
歌詞の意味を深く追求しない、アーティストの詳しいことも知らない、という感じ。

だから、昨日日本史学部の子としゃべっていて
「藤原行成と清少納言って恋人同士だったんですよね」って聞いて、
衝撃が走った…。

そう、それは「実は小学校のとき○○と△△って付き合ってたんだよね」って
いまさら教えられたかのような気分だった…。

まじか…。

あいつら、付き合ってたんか…。


そしてその話になって清少納言のうたはどんなだっけ?って言ったときに、
「夜をこめて…?」と出てきた自分にもびっくりしました。13年前やで。
三つ子の魂百までというのは本当にあるものです。
好きこそものの上手なれ。
23になっても、清少納言はわたしの心にいるのです。
ちなみに清少納言は国語の授業でおなじみ「春はあけぼの」で有名な”枕草子”の書き手です。
藤原行成は歴史の授業でおなじみ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」という「もうこの世俺のじゃね?まじパーフェクトじゃね?」という超ブイブイ言わせてた感丸出し権力者の藤原道長に書道の腕を勝われていた字のウマいひとです。

日本史学部女子の解釈によると、

清少納言の
「夜をこめて 鳥の空音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ」という歌。
「鳥の鳴きマネなんかしたって会えないんだからねっ。(鳥の音がしたら関の門が開くため。わたしは身がかたい逢坂の関だから、簡単に門を開けないんだからっ)」というツンツンな清少納言たんに
藤原行成はこれに返歌(ツイッターでいうところのリプライ)で、
「逢坂は 人越えやすき関なれば 鳥鳴かぬにも あけて待つとか」と返しています。
お前ダイレクトすぎるだろ。
「何言っちゃってんのもー、俺のこと好きなくせに!」的なうんざりリア充爆発しろ系返信にもほどがあります。
こんなん言いながら、鳥の鳴きマネとかしてたらしいです。
そんな行成は清少納言の年下だったとか。
平安時代から、年下萌えは存在したんだ。
清少納言はこんなお調子者年下に、きゅんとしたとか、してないとか…。


でも考えてみると、こんな生々しいやりとりは
現代で言ったらまさに人のLINEを覗き見てしまうようなもの。
それを「うた」として、言葉を芸術に昇華させて
こんな1000年後の今まで残してしまうんだから、
平安時代のひとたちの感受性の豊かさを思います。

もっと同級生の恋愛事情級衝撃を得たいので
歴史を勉強したいと思った2014年、冬。






(このブログには日本史学部女子とわたしの解釈が多大に含まれております。
 諸説あるものもありますので、その辺はご了承ください)


よん

0 件のコメント:

コメントを投稿