わたしは小学生のころから少年犯罪が起きると調べ尽す癖があって…。
今も、川崎で起きた中1男児殺害事件のことをついつい調べてしまうのですが。
ネットが普及した今の社会に蔓延する、情報。
被害者自身のこと。環境。家族。
「どうして救えなかったのか」「親が守れなかったのか」
哀しみの中にいるはずの親に対する批判。
加害者自身のこと。環境。家族。住所。写真。
「加害者に人権なんてない」「加害者家族に人権なんてない」
その言葉を盾に、辺り一面を掘り起こす。
本当のことも、嘘のことも。
たくさんの情報が溢れている。
未成年だから、少年法があるから、実名報道されない。
けどネットを見ればすべてが晒される。
そんなちぐはぐな中で、今日発売の週刊新潮で実名と写真が公になった。
それに対して日弁連(日本弁護士連合会)が、「大変遺憾である」という。
「少年が成長途中の未成熟な存在である」という前提。
そこから、凶悪重大な少年事件には環境や親が背景にあるから、少年だけを罰するべきじゃない、という考え。
なぜ、報道がだめなのか。本人が推知できるような報道がなされると、少年の更生と社会復帰を阻害する恐れが大きいとみているから。
日弁連によるとそういうことらしいです。
でも、もしも取り締まるべきものがあるのなら
裏を取って実名を報道するメディアではなく、
加害者が変に守られてしまうからこそ加速するネットで錯綜する情報たちではないだろうか。
ニセモノの情報と本当の情報がごっちゃになってる中で、
犯人なんじゃないか?と疑われているまだ真実が分からないひとに対して
簡単に「死ねよ」と言ってしまうたくさんの人がいる。
情報を掘り起こして、昔関係があっただけの人に対してもそう。
投げられる暴言の数々。
それは加害者の守られる立場が加速させているといっても過言じゃない。
「俺達が暴かなきゃいけない」という集団意識。
罪を償わせるためにも、自分が何をしたかを分かってもらうためにも、
絶対守られちゃいけないと思う。
これまで少年法に守られた人たちの中で、
更生しなかった人がたくさんいることくらい調べればすぐ分かる。
鑑別所を出て、また犯罪をおかして捕まった人もいる。
自分の行いの悪さに気付けず、謝罪の言葉すらなかった人もいる。
そりゃ、みんなも必死になって暴こうとするよ。
だって怖いもん。
自分の周りにその人がいたら?
正しい罰が与えられないから、躍起になって情報を漁る。
その中で生まれる被害者は
加害者家族なんだよね。
もちろん、被害者とその家族が一番の被害者であるは間違いないし
加害者を作る環境を作った加害者家族が加害者であることも事実。
ただ、加害者家族が加害者によって人生を壊されたのも事実。
加害者であって被害者であるという複雑な立場で、
これまで自殺を選んだ人も少なくない。
去年起きた佐世保の女子高生殺害事件の父親のように。
今回も家族写真がばらまかれ、
勝手に外からいろんなことをいう。
「私刑にしてやる」「祖母がどう見ても在日」
話は人種問題にまで発展する。
確かに悪いものは悪いけど、
だからと言ってわたしたちがすべてを知ったふりをして何をしていいわけじゃない。
この「少年法の在り方」「守られるべきものは一体何か」
「情報がどうあるべきか」「罪がどう贖われるべきか」「わたしたちの安全はどうしたら守られるのか」
ということを、考えなければならないと思います。
よん
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